【名張】寿栄神社と名張藤堂家邸跡を「長寿のパワースポット」として売り出す観光PR!?

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名張市より引用

 

 

産経ニュースによりますと。。。

 

 名張市は、名張藤堂家邸(同市丸之内)初代当主で91歳の天寿を全うした藤堂高吉にあやかって、高吉を祭神としてまつる隣接の寿栄神社と名張藤堂家邸跡を「長寿のパワースポット」として売り出す観光PRを検討すると表明した。

とのことです。

 

 

 市議会一般質問で議員からの名張藤堂家邸跡の活用提案にこたえたとのこと。

答弁に立った市教委担当者は「(寿栄神社は)『寿』に『栄える』という縁起のよい漢字を使っており、(長寿のパワースポットで)認知されるポテンシャルは十分。2つを一体的にPRしたい」と語った。神社を管理・運営する丸之内区などに呼びかけ、協議するということです。

名張藤堂家邸は、藤堂高虎の養子である高吉が寛永13(1636)年に建立。寿栄神社は高吉が没した寛文10(1670)年、当時の邸内に家臣らが建てた。神社境内入り口にある「太鼓門」は、旧藤堂家邸の正門を移設したもので、かかわりが深いとされているます。

 

 

 

★名張藤堂家邸跡★

 

津藩藤堂家の一門で寛永13年(1636)から明治維新まで11代にわたり、名張に居を構えた藤堂宮内家の屋敷跡です。現在残されている屋敷は、宝永7年(1710)の名張大火で焼失した後に再建された殿館の一部で「中奥」「祝間」「圍」などの私的な生活を送る建物です。
この屋敷とともに、「豊臣秀吉朱印状」「鉄唐冠形兜・一の谷形兜」「朱具足」「備前無銘刀」「藤堂高吉公一代記」「羽柴秀吉・丹羽長秀の書筒」など学術的にも貴重な文化財が、平成3年に名張藤堂家から市に寄贈されており、平成4年に保存修理事業が完了した屋敷とともに一般公開されています。

 

 

 

開館時間

午前9時から午後5時

 

 

休館日

月曜日、木曜日と年末年始(12月29日から1月3日)

ただし、月曜日・木曜日が祝日にあたるときは、その翌日。

 

 

入館料

一般 200円

高校生 100円

小中学生 無料

 

 

名張藤堂家邸跡+夏見廃寺展示館 共通入場券300円

 

 

所在地

名張市丸之内54-3

 

 

 

お問い合わせ先

電話番号:0595-63-0451

 

 

 

 

 

★名張藤堂家について

 

 

 

名張藤堂家は、藤堂高虎の養子高吉にはじまる。『藤堂宮内少輔高吉公一代之記』によれば高吉は、織田信長の重臣丹羽長秀の三男として、天正7年(1579)近江佐和山城に生まれ、幼名を仙丸と称した。

 

天正10年(1582)本能寺の変で信長死去の後、羽柴(豊臣)秀吉の所望により、弟羽柴秀長の養子となる(天下を望む秀吉が、柴田勝家を討ち滅ぼすため丹羽長秀と縁を結ぶためであったといわれる)。

天下を手中にした秀吉は、天正16年(1588)秀長の嗣子に甥の中納言秀保を立てたため、仙丸を家来に嫁がせようと考えていた。

 

この時、秀長の家来であった高虎には、子どもがなく、仙丸を養子に望んだが、秀長は同意しなかったという。しかし秀吉の命により高虎の養子となり、名を高吉と改め、従五位下宮内少輔に任じられ1万石を給された。

 

文禄、慶長の役には、高吉は高虎に従って渡海し慶長2年(1597)7月10日には、秀吉から朝鮮在陣の褒詞(豊臣秀吉朱印状)を受けている

慶長3年(1598)秀吉が没すると高虎は、徳川家康に味方し慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは、高虎、高吉とも戦いに加わり戦果をあげる。この後高虎は、伊予半国20万石余を拝領し今治城主となり、高吉も城下に屋敷を構えた。

 

慶長13年(1608)高虎は、伊賀国と伊勢のうち安濃津に国替えとなるが、高吉は、家康の命により今治に残り、2万石を領し、寛永12年(1635)伊勢国へ替地になるまでの27年間を今治ですごしている。

 

 

この間、大阪冬の陣と夏の陣には、高虎軍に加わり軍功をあげている。しかし高吉の領した2万石は、高虎の知行の内に含まれ、その後、参勤交代の制度が始まっても、高虎は高吉には認めなかった。寛永7年(1630)高虎は75歳の生涯を閉じ、家督を実子の高次が継ぐと、高虎の跡を継ぐべく養子となった高吉は、家臣の格を甘受することとなった。

 

寛永12年(1635)幕府より伊予と伊勢国内2万石との替地の命がでると、藩主高次の命により、伊勢2万石のうち5千石を伊賀国の名張周辺と替地し、翌年正月、高吉は名張に移住した。

 

高吉はかつて筒井定次の家臣松倉豊後守や高虎の家臣梅原勝右衛門らが居館を構えた古城跡に殿舎を構えるとともに、家臣や伊予から従ってきた商人、職人らの住居を定め、城下町としての体制を整え名張の町の発展の基礎を築き、寛文10年(1670)92歳の生涯を名張で終えた。

 

高吉の死後、次男以下3名に5千石が分知され1万5千石となり、その後11代高節で明治維新をむかえた。子孫は、現在東京に在住する。

 

 

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名張市より引用

 

 

地元の方にはお馴染みの場所が大人気パワースポットになるかも( *´艸)

長寿意外にも名張のパワースポット沢山ありますから、これを期に広間っていくといいですね(*^^*)

 

 


(ゆーたん)


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