【名張】花火だけじゃないよ!名張川納涼花火大会 ~明日に備えて予備学習~
今年もやってきました「名張川納涼花火大会」
いよいよ明日ですね。
浴衣の準備、してますか~?
綺麗なお姉さんに見とれ、花火を見る!これもいいですが・・・
今回は、花火までに行われる、「天正しぐれ法要」について調べていました。
「天正しぐれ法要」
午前10時より、丸の内万霊しぐれ供養塔の前で行われるそうです。
この法要は、織田信長の軍勢が伊賀の国を攻め滅ぼした天正伊賀の乱で亡くなった方々を「天正しぐれ太鼓」で供養するものだそうです。
★天正伊賀の乱
伊賀国で起こった織田氏と伊賀惣国一揆との戦いの総称である。天正6年(1578年)から天正7年(1579年)の戦を第一次、天正9年(1581年)の戦を第二次とし区別する。
●第一次天正伊賀の乱
第一次天正伊賀の乱 | |
---|---|
戦争:安土桃山時代 | |
年月日:天正6年(1578年) - 天正7年(1579年) | |
場所:伊賀国 | |
結果:伊賀衆の勝利 | |
交戦勢力 | |
織田軍 | 伊賀惣国一揆 ・伊賀十二人衆 |
指導者・指揮官 | |
織田信雄 滝川雄利 柘植保重 土方雄久 |
百地丹波 植田光次 |
戦力 | |
8,000 | 2,000 – 3,000 |
損害 | |
柘植保重討死、2000兵以上 | 不明 |
●第二次天正伊賀の乱
第二次天正伊賀の乱 | |
---|---|
戦争:天正伊賀の乱 | |
年月日:天正9年(1581年) | |
場所:伊賀国 | |
結果:織田軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
織田軍 | 伊賀惣国一揆 ・伊賀十二人衆 |
指導者・指揮官 | |
(織田信長) 織田信雄 織田信澄 滝川一益 丹羽長秀 蒲生氏郷 筒井順慶 筒井定次 脇坂安治 不破光治 浅野長政 堀秀政 滝川雄利 土方雄久 など |
滝野吉政 町井清兵衛 森田浄雲 百地丹波? 下段の一覧参照 |
戦力 | |
5万 | 9,000 |
損害 | |
2,000以上 | 壊滅、非戦闘員含む30,000余死亡 |
|
*wikipediaより
続いて。。。
「天正しぐれ太鼓」とはどんなものなんでしょう?
見たことありますか?
「天正しぐれ太鼓保存会」というものがありました。
★天正しぐれ太鼓保存会
●創始
昭和48年
●由来
「天正9年(1581年)秋9月、天下麻の如く乱れる戦国国盗り時代、天下統一をめざす織田信長の軍勢は大挙して伊賀の国を攻めた。天正みだれ太鼓は、大軍を前に気概をもってふるさとを守ろうとした先人たちの生きざまと、廃墟と化したふるさとを復興していった多くの人々の力強い槌音を永く将来に伝え、ふたたび戦乱のないようにと、新しい時代の人々にもその志を太鼓に込めて強く訴えるものである。
●内容・保存会として持っている曲
「天正みだれ太鼓」 迎撃、交戦、敗戦、復興を物語風に表したもの。
「天正五輪太鼓」
五輪とは。。。地・水・火・風・空を云い、即ち万物。構成の5大要素を表す。
「うかれ太鼓」 平和なふるさとの祭りを喜ぶ太鼓。
「春の声」 天の時、地の利、人の和を表す。
「乱」 気概をもって結集し敵に対峙する。
●活動の状況
太鼓の創始以来、名張夏祭りに連続して参加することは勿論のこと、県、市の教育・文化・観光、産業等の催事・行事への出演協力は数百回に及ぶ。
*画像・詳細とも、天正しぐれ太鼓より
と、なっていました。
天正しぐれ法要、愛宕の火祭り、花火だけでなく、本来の祭りの良さも堪能してみてくださいね(*^^*)
花火見ながら語ったら、ちょっとかっこいいかもよ( *´艸`)
(ゆーたん)