【伊賀】瓢箪から駒ならぬNHK大河『軍師 官兵衛』から醤油!(笑)

ご覧頂いている号外NET、伊賀・名張以外にもいろんな地域があるのご存じでしょうか?

伊賀・名張以外にも東淀川区大東・四条畷守口・門真天王寺区吹田鶴見・城東京都先斗町一丁目関空エリアと全部で10箇所あるのですが、号外NET大東・四条畷の記事に気になるものを見つけました!!!

歴史の覇者・徳川家康、人生最大の危機を迎えた場所が飯盛山にあった!! 7/20のNHK大河ドラマ『軍師 官兵衛』ではその「伊賀越え」のシーンを放送!の中で、信長が死亡したと知らせを受けた家康が「伊賀越え」するシーンの告知がありました。

「伊賀越え」って?どこを越えたんだろう?と気になって調べてみました。

★家康の伊賀越えとは。。。★

 本国三河へ帰ろうと家康の一行は、伊勢の海から船で三河に渡る最短の経路を選びました。

堺から南山城へ出て、近江信楽付近から伊賀丸柱を経て、鈴鹿の山を越え、伊勢国へと急ぎました。見つかりにくさを重視して、鈴鹿山脈で最も険しい「鹿伏兎(かぶと)越え」を選んだといわれています。

この時の家臣があの服部半蔵だったという話もあり、半蔵の呼びかけに答えてくれた者は約200人ほど、家康を囲むように護衛し、決死の突破作戦に協力、伊賀忍者たちの協力で鈴鹿の山を越えた家康は、白子浦から出航し、船で伊勢湾を横断、無事、岡崎に戻ったといわれています。

 

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*画像は歴史の情報蔵より

 なにげなく大河観てましたが伊賀忍者、こんなとこでも頑張ってたんですね(*^^*)

更に詳しくと検索していると。。。

地元民ならもうおわかりですよね?

馴染みの深い「伊賀越え」と言えば「伊賀越」。

そう!あの伊賀越!(笑)

通学途中に漂う味噌と醤油の匂い。。。もしかして???と調べてみました!

伊賀の歴史と伊賀越の由来

『伊賀の郷』は、古都奈良・京都に隣接し、当時より都との交流が深いところでございました。

戦国の世、本能寺の変で徳川家康が、明智方の追手からのがれ急ぎ堺から三河に戻る途中、伊賀忍者の先導を受け「甲賀のくに」と「伊賀のくに」の、険しい山中を越えてまさしく“伊賀越え”をしたことが歴史に残っております。

江戸の時代になると、松尾芭蕉が伊賀の城下で武士の子として生まれ、そののち、江戸に出て俳聖芭蕉として俳句を一般の人々に普及させた芭蕉生誕の地としても伊賀は知られる事になりました。

また、荒木又衛門の伊賀越仇討は日本三代仇討の一つで、江戸時代より歌舞伎で伊賀越中双六として演じられております。弊社『伊賀越』の社名はこのような時代背景が由来となっております。

 *伊賀越オンラインショップより

やはり由来はこの「伊賀越え」だったようです(笑)

まだまだ知らない地元ネタ、沢山ありそうなので分かり次第順次お伝えしていきたいと思います(*^^*)

こんなのあるよ!!って情報是非教えて下さい^^

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私は東淀川愛用中です♥是非こちらもご活用下さいね♥

(ゆーたん)

 

ゆーたん

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