【伊賀】1854年に伊賀でもあった推定M7.25の大地震!
なんとなくウェザーニュースをみていたところ気になる記事が。。。
今回の大阪での地震に関連した記事の中に1854年の伊賀で発生した地震のことが書かれていました。
「近畿では、1854年に伊賀上野地震がありました。現在の三重県伊賀市北部で発生した地震です。その年の7月7日に発生した地震で建物の倒壊はなかったのですが、余震が続いたため住民は戸外にムシロを敷いて寝るなどしたそうです。そして7月9日にはもっと大きな地震(推定M7.25)が発生し、死者は1000人近くにのぼったと記録されています。つまり、最初の地震は前震で、2日後に本震が襲ったのです」
前震→本震は、2016年4月14日-16日の熊本地震と同じパターンです。
※ウェザーニュースより
とのことです。
ご存知でした?「伊賀上野地震」
調べてみました。
★伊賀上野地震★
地震分布図
伊賀上野地震(いがうえのじしん)は、嘉永7年6月15日(1854年7月9日)14時頃に現在(2011年)の三重県伊賀市北部(経度136度、緯度34.75度)で発生した地震である。地震のタイプとしては活断層で発生した内陸直下型地震とみられる。「安政」への改元前に発生した地震であるが、歴史年表では嘉永7年1月1日に遡って安政元年としており、安政伊賀地震とも呼ばれる。
また、本地震に始まり飛越地震に至る安政年間に連発した一連の顕著な被害地震は安政の大地震と総称される。
概要
嘉永7年6月13日(1854年7月7日)正午に前震が発生した。前震による建物の倒壊は無かった。その後も揺れ、夜通し寝なかったり外に筵をしいて寝るなどした住民がいた。
本震は同年6月15日(新暦7月9日)暁丑刻(午前2時頃)に発生し、6-8時頃に最大余震が発生した。震央は現在(2011年)の三重県伊賀市北部、マグニチュードは7 1/4(兵庫県南部地震とほぼ同じ)、最大震度はメルカリ震度階級で四日市、伊賀上野はVIまたはVIIと推定されている。越後、常陸から長門に至る広い範囲で地震が記録されている。津、亀山、桑名でもメルカリ震度階級で震度Vと推定されている。同日5時頃失火の炎が見え始めた。
被害
上野城の東・西大手門の石垣が崩れ、番人4名が死亡し、地滑りなどの被害も大きかった。死者は995名。うち伊賀上野付近の死者は625名、負傷者994名、家屋倒壊2270戸、蔵倒壊306件だった。その後の余震も同年7月10日(新暦8月3日)2時頃までは規模が大きいものが多かった。
のちに「伊賀上野城下の被害絵図」もつくられた。地震により倒壊した家屋が色で塗られた絵図もある。
地震断層
上野の北側で西南西-東北東の方向に断層を生じ、断層の南側で長さ約1km、幅約200mの範囲で最大1.5m沈下した。
※Wikipediaより
また、三重県伊賀市野間には「安政伊賀上野地震供養塔」も建てられており、伊賀市指定の有形文化財(美術工芸品)になっているそうです。
安政伊賀上野地震供養塔
[map]三重県伊賀市野間634[/map]
多くの方が被災されていたんですね。。。
災害は伊賀名張でも、いつおきてもおかしくないということです。
皆様、他人事ではないこと、再度認識して頂き、日頃から準備をしておきましょう。
(ゆーたん)